philosophy
新ロマン派の概要
結 成 1945年(昭和20年)12月22日 新浪漫派美術協会結成 事務所/旭川市 山口信太郎 方
創立発会式 1946年(昭和21年)2月11日 敗戦直後の虚脱状態,社会情勢の混乱の中から自由な芸術活動を求めて,新浪漫派美術協会の発会式を,下記の18名同人でおこなった。
飯田 朋・泉 秀雄・市村東市・梅 祐男・岡村芳男・北島吉光・情野宮一・武田範芳・谷口広志・野川 睦・山口健智・山口信太郎・平野敬一・森岡貞雄(旭川)。伊藤健太郎(北見)。笠原康正(留萌)。佐々木栄松(釧路)。与志崎 朗(深川)。
会員・会友の作品傾向と在住地など
1)作品傾向
①絵画部門は油彩と共に水彩が充実し、内容も作風に偏りがなくバラエテイーに富んでいるのが大きな特徴。
②工芸部門は陶芸が大半を占めるが、他に七宝・染織・ガラス工芸の出品もあり多彩な作品が並ぶ。
③彫刻部門は少数派ではあるが、力作が肩を並べる。
2)会員会友…旭川市内と東川など近郊在住者や富良野・美瑛在住者が多くを占めるが、留萌・増毛・羽幌・美深・名寄・士別・稚内の道北、深川・滝川・芦別・美唄・岩見沢の空知、江別・札幌・苫小牧の道央の各地方に加え東京・横浜など本州方面にも点在し、広範な地域で創作活動を行ない、絵画・工芸・彫刻分野での指導推進者として 地域の美術文化向上の一役を担っている。
新ロマン派第30回記念展(1975年(昭和50年))に寄せて
代表 山口信太郎(当時)
昭和20年
戦争という地獄絵は終わった
肉親を失った悲しみを永遠に背負わされ
衣食の欠乏にさいなまれ乍らも
心情の真清水を守り続けるため
「新ロマン派」は結成された
肉親を失った悲しみを永遠に背負わされ
衣食の欠乏にさいなまれ乍らも
心情の真清水を守り続けるため
「新ロマン派」は結成された
昭和50年
あゝ あれから30年
厳しすぎる朔北の風雪にも増して諸々の冷酷な壁も
全員の情熱で切り開き、押し開き、「新ロマン派」の
幹は年毎に生長し、その艶やかな露満葉の中には
香ぐわしき様々な美果が枝もたわゝに結実しつゝあり…
茲に意義ある30年を迎えるに当りその収穫の一端を
展示いたしまして長年に亘り心からなる温かい御支援
を賜りました皆さまに御高覧戴き、いささかの御礼代り
にさせて戴き度いと存じます。
厳しすぎる朔北の風雪にも増して諸々の冷酷な壁も
全員の情熱で切り開き、押し開き、「新ロマン派」の
幹は年毎に生長し、その艶やかな露満葉の中には
香ぐわしき様々な美果が枝もたわゝに結実しつゝあり…
茲に意義ある30年を迎えるに当りその収穫の一端を
展示いたしまして長年に亘り心からなる温かい御支援
を賜りました皆さまに御高覧戴き、いささかの御礼代り
にさせて戴き度いと存じます。